近頃はネットでの表現が難しくなって来て、昔のように過激なことを不用意に書くと思わぬ炎上を招く可能性があって、気を抜けない。とはいえ、そういうリスクを恐れて、なますを吹くがごとく、自分の書きたいことを書かずにありきたりの正論を書くだけでは全くつまらなく、ある意味不戦敗なので、挑戦したいという気持ちはある。

例えば、あるけしからん奴には制裁が妥当だと思って、(それを実行することはもちろんないのだが、)その内容を具体的に書くことはためらわれる。特に、対象の相手が弱者(と呼ばれる人)とか偉い人だったりすると危ない。

ところが、先日、naokiさんのところにコメントを書く時に、なかなかいい技法を思い付いてしまった。架空の世界に頼むのである。例えば、

そういうクズは、マッドマックスの世界では、ショットガンで頭を粉々にされるだろう。

である。「マッドマックス」でなくても、自分が適切だと思う制裁を加えてくれそうな世界観・設定の作品なら、なんでも可能だ。「北斗の拳」はもちろん、「スター・ウォーズ」だって使えそうだ。

それなら、書いた人が制裁を加えたいということは全く書いておらず、「作品の世界ではそういうふうになるだろう」という想像を書いているに過ぎないので、問題がない(もちろん、書いた人の頭の中がどうなっているかは文章の限りではないが、書かれてもいないことを想像して「けしからん」と叩くのは、叩く方がおかしい)。

あるとすれば、「こんな時代遅れの暴力行為を礼賛するとはけしからん」と叩かれる程度だ。が、それにしたって、アングラな作品のことを書いているのでなく、現代でも一般に流通している作品で起こりそうなことを想像しているだけで、礼賛も奨励もしていない(「だからマッドマックスの世界はいい!」などとは書かない)のだから、大きな問題とがあるとは言えない。せいぜい、熱心なファンの方に「その設定はおかしい」などと突っ込まれる程度だろう。

てなことを考えながら文章で実験するのは、なかなかおもしろい。

 

PS. よく、「自分の家の玄関に同じこと(インターネットに書くこと)を貼れますか?」とか言われるが、一見正論だがちゃんちゃらおかしいと、さっき思った。そういう輩は、プ○ウスとかに乗って、いかにも自分は主流派で、いつも正しい、世の中のためになる行動をしているとでも思っているのだろう(でも、実際には、とんでもない運転のプ○ウスは多い)。

まあ、反社会的なことを書いたり、遊び半分で書いて逮捕されるようなことは推奨できないが、上記のような ことなかれ主義をやっていたら、世の中は進歩しないと思う。そもそも、インターネットはこういう場所であって、玄関じゃないではないか。

例えば、「春の祭典」の初演時は、多くの聴衆が「とんでもない曲だ」と感じて、大騒動になったという(どこまで本当か分からないが)。これこそ、「玄関に貼れますか」なんて自主規制していたら、世に出なかったと思う。

すごく論理が飛躍した気がするが、世の中は、一見非常識なことから進歩することも多いのだから、常識に囚われるより、いかに(許されるか許されないかの境界線上で)常識を破るかに情熱を注ぐ方が有益なのではないかと思った。

ただ、常識をギリギリで破るには常識を知らないといけない訳で、単なる無法者でいい訳ではない。そこが「バカッター」する人が分かっていないことなのだろう。

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ある会社のトップが、経費がかさむ一方でけしからんとか言っていたそうだ。その人の言い分では、その原因は社員の無駄遣いにあるそうだ。

だけどさ、会社のお金を一手に仕切って、全部にハンコを押していたのは、そのトップなのだが・・・ ハンコを押した責任はないとでも言うのか。無駄遣いがあったと言うなら、後で言わずに、その都度厳密に確認して却下していれば良かったと思うのだが、何か違うのか。社員に騙されたとでも言うのか。

仮に、その都度見抜けなかったとしても、今まで何度もあった決算の時に具体的な数字を挙げて、「今期は※円の経費が掛かっていたが、*の支出が多過ぎたので、来期は●%削減しよう」とか、全然言って来なかったのはなぜだ? 放置の責任はないのか?

全く理解できない話だと思った。加齢で脳が劣化して、異次元の論理をでっち上げるようになったのかも知れない。。。

いずれにしても、トップなのに被害者面して説教するなんて、まったく情けない。聞いた話でもうんざりだ!

 

PS. お題目のように「コスト削減」とは言うけど、具体的な数値を出さずに「各自の努力」に任せても、まず達成できない。効果的な制御には正確な測定が必要なのだ。例えば、1億円を削減する必要があるのに、それを知らされない社員は、やみくもに節約すればいいと思って、電話を掛けないようにしたり鉛筆やノートを使わないように努力したって、何の効果もないということだ。そんなのは逆効果だ。

多分、一番効果的なのは、そのジジイの報酬を減らすことだろうなw

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僕は常にメーラーのInbox(受信箱)を空にしておく。下は会社のThunderbirdのキャプチャ(一部)だ。家でも同様だ。Inboxに何か残っていると目障りでしょうがない(それはそれで、精神的に問題ないのかという話はあるがw)。

常に空のInbox

仕事では、読んだら(必要なら返信して)既読のフォルダに移す。返信は基本的にその日のうち(概ね数時間以内)にし、すぐに返答ができないメールは、要返答のフォルダに移して、忘れないようにしている。当然、要返答フォルダも、なるべく早く空にしようとしている。更に、読む必要のないメール(自動送信や下らない連絡の類)は、Subjectなどで判定して自動で既読に移すように設定している。

なんてのは、以前何かのwebで読んだ手法(「Inboxを常に空にする」とか言ったか → 「インボックスゼロ」だった: 12/27 5:23)を踏襲しているだけだが、そんなことすら知らず・できない人が多くて困る。しないだけで、ちゃんと仕事しているならいいが、返信の必要なメールを放置する輩が多くて、いつもイライラする。そういう人のInboxには千通くらいずらっと並んでいる。故意に返信しない気はなくても、何に返信すべきか分からなくなってしまうのだろう。ちなみに、PCのデスクトップもアイコンだらけでぐちゃぐちゃで壁紙なんて見えないし、本物の机もジュラ紀の化石が発掘できそうになっているw 何とも思わないんだろうね。

そういう人だって天才のように仕事ができればいいが、実際にはそうでなくて、本当に脳味噌の足りない猿以下のアホだと思うのは、何度僕にブチ切れられても直そうとしないことだ。猿だって学習するのに、そいつにはそんな能力はないようだ。いつも、いろいろ言い訳して謝る(振りをする)が、そんな暇があったら改善して欲しい!

 

PS. 更に潔癖症な人への小技: PC(Thunderbird)では見たくないが、スマフォでは引き続き見たい(表示させたい)メールがある場合。更に、スマフォ(iPhone)でもInboxを空にしたい(見たくないメールがある)場合:

  1. ThunderbirdのInboxのプロパティで、既読を示すタグ(例: 「読んだ」)を付けたものは表示しないようにする。
  2. PCで隠してスマフォでは表示させたいメールに、上記の「読んだ」タグを付ける。
  3. [オプション] 任意の場所(例: ローカルフォルダ)に、Inbox中の後で「読んだ」タグの付いたメールだけを表示する検索フォルダ(例: 「一時保管」)を作る。: Edit(編集)→Find(検索)→Search Messages...(メッセージの検索)で条件を指定後、"Save as Search Folder"(検索フォルダとして保存)する。
  4. [iPhoneでのオプション] iPhoneでもInboxを空にしたい(見たくないメールがある)場合、引き続き見たいメールにフラグを付け、フィルタで「未開封」と「フラグ付き」を有効にし、フィルタを有効にする(iPhoneのメーラーではメールのフォルダへの移動が面倒なのと、ローカルの既読フォルダに移動するとPCで見えなくなってしまうので、タグを付けて区別したいが、ないのでフラグを付ける。なお、移動の手間を惜しまず、既読フォルダをサーバ(IMAP)に作るなら、移動しても問題ない)。

↓ 結果

  • Inbox以外のフォルダを表示後、再度Inboxを表示させると、「読んだ」タグを付けたメールは表示されなくなっているが、スマフォでは引き続き表示される。
  • [オプションを実行した場合] 「一時保管」フォルダを開くと、「読んだ」タグを付けて非表示にしたメールが見える(このフォルダの存在は忘れがちなので、まめにチェックして、既読フォルダに移動する必要がある)。
  • [iPhoneでのオプションを実行した場合] Inboxでは未読でフラグ付きのメールだけが表示される。

(2017/12/28 6:08)

PS2. 上記の「Inboxを常に空にする」手法は、少なくとも5年以上前に「Google流のメール整理術」とか言って紹介されていた気がする。当時からGoogleには反感(やっかみ?)を持っていたがw、これほどシンプルで有効な方法は思い付かなかったので、便利に使っている。やっぱり、Googleのようなところ(しかも欧米)にはそれなりに頭のいい(合理的な)人が多いのだろう。(2017/12/28 5:12)

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(最初に書いた時から時間が経って、疲れのせいもあって、まとめる気が起こらなくなったので、ひとまず草稿レベルで公開します。)

何かを「所有」することは不可能だと思う。

「所有」の定義にはよるが、仮に、「自分が死ぬまで何かを管理下に置く」としても、本当に可能だろうか? ほとんどの物は、消耗したり壊れたり飽きたりして、いつかは捨てるだろう。大体、「自分」ですら所有(管理)できないではないか。

壊れない物もあることはある。名誉のような、物でないものもある。

でも、自分が死んだら(自分にとっては)終わりなことは確かだ。

それでも、たかだか100年でも、所有できればいいのかも知れない。が、欲しかったものを所有できたら、ずっと嬉しく思うとか満足し続けるのだろうか? どうせ、数日経ったら、忘れてしまうに違いない。それどころか、更に「上」が欲しくなるだけだ。

諸悪の根源だ。

だから、ほとんどの物はすべて「借り物」だと考える方がいいと思う。お金を払って一時的に手元に置くが、使い終わったら放棄する。何でも流動的なもの、一時的なものと考えてこだわらない。

そういう観点では、少し違うが、断舎離はいい考えだ。

(表現が難しいが、物理的な物にこだわらず、情報や思考や精神を主体にするべきだと思う。すべてを狭義の情報(電子や磁気の1/0で格納するとか)ではなく、何らかの事実や表現を積み重ねるという意味である。そういうものを蓄積するには、最後は記録する「物」が要るのかも知れないが、そうでない可能性もありそうな気はする。でも、これを突き詰めると、最後は、人間という物体はなくなる(なくてもいい)ことになりそうだ。でも、そうなったら記録するものもなくなるのか・・・)

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猫の飼育数が犬を上回ったとか。そんなの全然うれしくない。

(原因不明の)流行のせいもあるのだろうが、記事を読むと、猫は散歩させなくていいからとか書いてあって、アホか馬鹿かと。そんな手間を惜しむような奴は、どんな動物だって、まともに世話なんて出来る訳がない。

「飼育」とか「世話」というのは人間目線の言葉であって、適切でないと思います。もっといい書き方があるはずですが、今は思いつかないので使っています。「一緒に暮らす」などが適切と思いますが、今ひとつしっくり来ないのです。

そもそも、犬や猫が好きだから飼うのであって、それは別の種とは置換不可能で、手間が少ないからって(そういう人は、ご飯を炊くのが面倒だったらパンにできる? 手が小さいからピアノじゃなくてヴァイオリンにするの? : そういう人は実際居るんだろうけど、何も分かっていないと思う)、おかしいだろうが! そういう輩は、お店で「いいの」を手に入れたはいいが、そのうち面倒になって、そこらに捨てるとか保健所送りにするのがオチだろう。

だから、本当に、いい加減な奴は飼わないで欲しい!

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基本的に、年賀状はメールにすることにしたのだが、ちょっとした落とし穴に嵌まるところだった。

毎年年賀状をくれている人に、行動がいい加減な人(おそらく悪気はないのだが、忙しかったりして、結果的にいい加減になってしまうようだ。ただ、良くないことを何度も繰り返し、改善する気が見られない)が居て、常々それにムカついているので今年からは出さないことにしたのだが、結構(お互いに)お世話にはなっているから無碍にするのも悪く、メールなら手軽だから出そうと思っていた。

が、メールだと、添付した画像を検索したら、ここ(ブログ)が見つかる可能性が高いことに気付いた(メールとブログでは、画像は同じで、中に入れた名前などが違う程度のため)。しかし、こうやって書いているように、その人にはここを知られたくない(知られてもいいけど、得策ではない)。だから、ブログに載せていない、全く新しい絵柄を作る必要がある。

年賀状(メール)を出す相手で、そういう人はその人だけなので、本来は年賀状を出すつもりのなかったその一人だけのために絵柄を作ることになるのだが、何とも矛盾しているというか、「何やってんだ?!」って感じだ。

(そもそも出さないつもりではあったが、)心を鬼にして出さないことにするか、適当な絵(画像)を見繕うかするしかない。 → まあ、出さなくてもいいかな。同様の関係の人で、賀状をやりとりしているのはその人だけだし、その人にしたって流れ作業で出しているだけだろうから・・・

今思い付いたが、昔、Yahoo!とかに良くあった、Flashとかを使うフリーの年賀メールサービスで出すのが安直で良さそうだ。でも、まだあるのだろうか??

(5:09) 探してみたら壊滅状態だった。検索しても、5年とか10年前のページがほとんどで、Yahoo!や楽天などの大手は撤退していた。昔は掃いて捨てるほどあったのに。。。 今はスマフォ+SNSで送るのだろう。そして、SNSといったらインスタなのか? 見栄え(だけ)が重要そうな世の中だなw

(12/24 12:58, 20:34) 時間があったので、それぞれの方に送る文面を書いてみたのだが(好きな時・書きたいことを思い付いた時に書けて、充分に推敲できるのが、すごいメリットだ)、メールは葉書より距離が近い感じがして、その点は、受け取った方に違和感や嫌な感じを与えるかも知れないと思った。ただ、今はLINEなどのような速攻なメディアが全盛で(以前、メールは読めないからLINEにしろと注文して来たアホが居た)、メールは、もはや、電話全盛時代の葉書程度に「遠い」ものになっているのは確かなので、「まあ、いいんじゃないか」と、勝手に納得している。

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今度は北海道か。見出ししか見てないけど、「30年以内に大地震の確率が7-40%」って、意味あるのか(日本だったら、どこでもそう言えるのでは??)? その文言の確度は100%なのだろうか? (一般人の)役に立つのか? 40年くらいに出した予知のようなもの(名前すら忘れた)の代わりなのか。

これの前に別のところで大地震が起こっても、「地震はいつどこで起こるか分からないので、いつも気を付けていましょう」で終わるしなw

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ある会社であったかも知れない、架空の話w

先日、回覧が回って来たので見たら、ある人が先日から「年末商戦に向けて作っている」と言っていたチラシだった。

一目で溜息が出た。外見は、いかにも良くある「ゴミ箱直行便」の類で、全然グッと来ない(目をひかない)。そもそも、あとわずかで今年も終わるのに、年末商戦なんてもう終わってないか? しかも、回覧でコメントを集めていては、いつ配布できることやら・・・ そんなの、ちゃっと作ってメールでぱぱっと意見をもらって、手早く配って回るものではないか。

売るものは陳腐(低価格競争になっているもの、かつ、次世代に代わられつつあるもの)なのに値段は安くなく、見た途端に「高い」とつぶやいてしまった。製品の仕様だって、全然たいしたことないから、そんなの買いたくない。そして、それを(Amazonとかでなくて、)わざわざうちから買う意味はどこにあるのだろうか。うちはそれを売って、一体どのくらいの利益があるのか。

更にその製品カテゴリーは常に新製品が出るために、内容や価格の変動が激しいから、チラシなんて作ってもすぐに古くなって意味がない。Amazonを見て買う方がずっといい。

全くの無駄だ。昔ながらのやり方なので、何も疑問を持たずにやっているのか、言われて仕方なくやっているのか。いずれにしても、売るものに対する勉強もせずにやっているのは明らかだ。作った人は僕と歳が近いので、親近感を持っていたのだが、なかなか「分かってない人」だったことが分かって、がっかりした。

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  • ハンコ。。。
  • 紙に手書きでの申し込みや契約
  • メールより会話・電話
  • 正式な暦は元号
  • 現金での支払い
  • CD, DVD, BDを買う (ダウンロード購入だって、もはやほとんど必要ない)
  • TV録画。TV自体が遅れている。
  • (一般人には)ほとんど何の役にも立たない、マイナンバー

もう、中国にすら負けているよ。

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家でも会社でも、テキストの編集にはAtomというエディタを使っている。好きで使っているのではなく、他になかったからだ。Windowsの時はNotepad++を愛用していたのだが、Linux版はないので、いろいろ試してこれに落ち着いた。が、時々、長時間ハングするのが作業の妨げになって(打ちたい時に打てないと忘れてしまう!)、すごく気に入らなかった(それ以外にも、基本的なところで「はぁ?」なことが多い)。さすがに業を煮やして、昨夜再び探してみた。主要な候補は、以下のようないつもの顔ぶれになった。

  • jEdit
  • Kate
  • Sublime text
  • Geany
  • Komodo edit
  • Bluefish editor

jEditはAtomの前に使っていたのだが、古めかしく(まだ許せる)、日本語がインライン入力できないのと重目(メモリを食う)なので、KateやAtomに乗り換えた。Kateはまずますだったのだが、検索・置換の使い勝手がイマイチ(例: 検索文字列の入力欄が複数ある)なので、Atomに乗り換えたのだが、上述のように問題が多い。

Sublime textは、日本語が入らないので論外だった(いろいろやればできるのだろうが、今の時代にそんなのは論外だ)。それに、設定変更は自分でファイルを編集するという、手抜き・前時代的なところも論外だ。Komodoはgtk2.0の更新が要るので止めた。贅沢だ。一般的な環境で動かないと駄目だ。GeanyとBluefishは結構良かったのだが、選択箇所のハイライト(クリックして選択した単語が他にもファイル中にあったら、それぞれに着色する: 図中の薄紫の部分)ができないので、惜しくも却下した。

結局、Evernoteの時と同様、何も残らない結果になり掛けたのだが、惜しかった(検索したら、意外に評判が良かった)GeanyとBluefishをしつこく調べたら、Geanyは、プラグインを追加することで選択箇所のハイライトができることが分かった。最初は検索が若干面倒な感じだったのだが、少し使ってみると、慣れの問題のような気がした。今一つ目に優しくなかった配色も、テーマをダウンロードして変更できた。カスタマイズした後の画面はひどく地味で全く目をひかないが、いい道具なんて大抵そんなものだ。

エディタGeanyのウインドウ

という訳で、ようやく、イライラさせられるAtomの代わりが見つかった。じっくり使ってみたいのだが、家ではそれほどテキストファイルを編集する機会がないので、なかなか出番がない。週明けに会社で使うかも知れないので、少し楽しみだ。

PS. "Geany"は、語感からは年寄り(音が「じいさん」に似ているからw)的な印象を受けたが、英語ではないようで、元々の意味はないようだ。gean(移植用の桜)から来ているのかも知れないが、意図は分からない。geniusからなのかも知れない。

PS2. Unixでエディタというと、viとかEmacsなどの、コンソール(ターミナル)でしか動かない昔ながらの(映画でよく「ハッカー」が使っているw → viの画面例)ものを推す勢力(自称「通」?)があるが、僕は全くそうではない。いちいちキー操作やコマンドを思い出して、間違えないように気を使って使うほど、物好きじゃない。先日書いたマークダウンみたいなもので、本来の目的に集中できないから本末転倒だと思う。

ただ、そういうエディタは車載工具のようなもので、いざという時(例: マシンにグラフィック画面がない場合、sshで接続している場合)はそれしか使えないので、実際にはviを使うことは多い。あと、グラフィカルなエディタを使うほどでない、簡単な作業の時もviを使う。Unixを使い始めた頃のマシンではviしか使えず、キーやコマンドがちんぷんかんぷんで苦労した。

その後はEmacsにのめり込んでいたが、今は全く使うことはない(今調べたら、なんと、僕のPCにemacsは入っていなかったw)。Emacsは機能は多いが、覚えることも多い(覚えてないと、折角の機能も使えない)ので、今となってはかなり面倒だ。多くの機能を詰め込み過ぎているのは、やり過ぎで趣味が悪いと思う。だから、Emacsの作者(≒GNUのストールマン)と仲良くなることはないと思う。GNUのソフトには昔から大変お世話になっているが、指向が違う。

そもそも、Unixは単純・簡素なことが売りでそれが好きだったのに、今のLinuxはかなり複雑・肥大化してしまった(そのおかげで、Windowsを不要にするほど便利に使えているのだが、換骨奪胎の感は強い。それでも、メタボなWindowsの動脈硬化や腐敗度に比べれば、かなりマシだ)。EmacsなんてUnixの精神とは相容れないもの(実際、エディタの中に全く別な世界を構築している)で、肥大化の走りだったのかも知れない。。。

ところで、今調べたら、Emacsの「開発」はまだ続いているそうで、それはそれですごいことだと思う。何がおもしろいのかは分からないが、誰かが続けなければ、劣化・変質したり、廃れてしまうから。

(なんてことを書いていたら、PSが肥大化してしまったw)

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